【観て、読んで、感じてください】新海誠監督「言の葉の庭」を映像と本でお家時間楽しみませんか?

2020年4月21日

あらすじ

舞台は梅雨入りの新宿

将来は靴職人を目指し、雨の日の午前中は新宿御苑でサボる高校生孝雄
そこで出会う1人ビールとチョコレートを嗜み、孤独感を感じるオフィスカジュアルを纏った若い女性雪野

将来について悩み不安を感じている2人は雨の午前中の出会いにより
それぞれ進むべき道を歩む決意を固めていく。。。

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アニメーションは全て手書きから

新海誠さんの作品の売りと言えばあの綺麗な映像美です
映画「言の葉の庭」、あの映像の綺麗さは全て手書きによるアニメーションにあります

冒頭の雨の新宿、雨露に揺れる草木
雨粒から全て手書きで仕上げているそうです

何時間、何十時間、何百時間をかけることであの映画は出来上がっているのです
細々とした所に手を抜かないからこそ、人々に感動を与える作品が出来上がるのです

脚本、そして小説へ

「言の葉の庭」の脚本は新海誠本人が手がけています

彼の書いた脚本の素晴らしい所は、主人公以外にもそれぞれ人生があり
それらが映画の所々に散りばめられています

一つ一つのシーンはとても短いですが、そのシーンは登場人物の人生において
大切な一つのシーンであり、人生の転換期を映し出しています

中でも分かりやすいのは、孝雄が兄「翔太」の引越しを手伝うシーンです

母と喧嘩をし、彼女と同棲という形で家を出る兄
一緒に育った兄弟である兄が人生の一歩先へ歩んでいく

それを引っ越しの手伝いという形で感じ取ります

実はこのシーン
映画では、ほんの数十秒の短い時間でしたが
「小説、言の葉の庭」では兄「翔太」について深く掘り下げられています

小説:言の葉の庭

「言の葉の庭」を映画でご覧になった方は多いと思います
(もしまだ見ていないという方「Amazon prime」でぜひご視聴ください!!)

小説「言の葉の庭」を読んだ方は少ないのではないでしょうか?

小説「言の葉の庭」是非読むべきです
映画では時間の制約により触れられなかった部分
映像ではなく、文字に起こす事により感じることのできる部分
作者新海誠が伝えたかった事

これらを感じる事が小説では可能です

前節で紹介した兄「翔太」が家を出た理由
確かに母との喧嘩が原因の一つであり、映像で表すならそれが一番分かりやすい

しかし、小説では翔太の心情、そして人生と背景
それらが鮮明に語られています

翔太はなぜ家を出たのか?
母との喧嘩で家に居づらくなっただけなのか?

これらは小説を読まなければ分かりません

小説で見る雪野の心情

映画では孝雄の視点により物語が進みます

一方もう1人の主人公である雪野については孝雄から見た情報と
一部客観的な情報が見られますが、雪野視点での心情は語られません

雪野が孝雄へ贈り物をするシーンがあります
孝雄の心を動かす重要なシーンです

この時の贈り物
雪野はなぜそれを選んだのか
どういう心情だったのか

映画では一切語られません
(孝雄が以前欲しいと言っていたという理由は映画でも語られます)

しかし、小説では雪野がそれを贈る決断をした経緯
雪野視点での心情心理がきちんと描かれています

映画では決して見られない雪野の心が心情が
小説ではきちんと書かれています

小説そしての役割

映画というものは
映像・音・セリフ・動き
目で見て、耳で聞いて
ダイレクトに私たちに訴えかけてきます

しかし、小説では書かれている文字のみ
その場の天気、風景、声
それら全て想像しなければなりません

映画として発表され
小説で想像しなければならない所を全て表現してしまっている

なのに後から発表された小説にある役割とは

私は冒頭で、新海誠の作品は細々した所まで手を抜かないと書きました
彼は、登場人物においても手を抜いていません

兄の独り立ちの背景
雪野の心情心理

映画を作る上で決して必要なわけではありません
そこを省いてしまっても良い作品に出来上がると思います

しかし彼は何処までも手を抜かない
だからこそ生きてくる登場人物たち

一人一人の人生をきちんと描き
それの備忘録ではありませんが、きちんと表に出し小説として発表する

小説「言の葉の庭」は登場人物たちの人生を感じとり
映画を更に深く感じる為にあるものだと感じました

まとめ

「言の葉の庭」は映画、小説ともに素晴らし作品です

まだ見てないという方はまず映画から

もう観たよという方は是非小説も

DVDでも、サブスクでも、小説でも、ネット文庫でも
色々な媒体にて配給されています

是非お家時間のお供に楽しんでみてはいかがですか??